走る

本日、子供曜日でした。

昨夜、天気予報を見て、唯一の小5の会員と
走る予定で いました。
目的地は8km先にある幕張駅です。

10時にジムを出てのんびりと走ります。
急がず一定のペースを守ります。
走りながら色色と話します。
同じくらいに息子と一緒に走った頃を
思い出しながら、 懐かしみながら走ります。

下らない話をしながら、ちょっとした雑学を
交えながら 似たような感覚で走ります。
船橋競馬場にあるジムから幕張駅は8km程になります。
ジム生の子に限らず、そのくらいなら他の子でも
走れるでしょう。
でも、走ることはありません。

電車や自転車がありますものね。
あえて走る必要もなければ、目的もありません。
勝手に走れないと決めつけている大人や子供らが
殆どではないでしょうか。
でも、走ります。
走れるからです。

無駄な行為に見えるかもしれませんが、長距離を走る
ということはとても肉体的にだけでなく、内面的な
効果が大きいと思います。
自分の弱さと向き合い、そして、纏わりつくそれと
ずっと対峙しなければならないのです。

「疲れた、もうやめたい」

そう思っても目的地から近づいてくれることは
ありません。
自分の足で近づくしかないのです。
いきなり目的地を目指さないこと、そうすれば 中中
近づかなくても焦ることも苛立つこともありません。

少し先少し先を目指して走ります。
途中、ガリガリくんを買って食べました。
僕はその間ホットコーヒーを飲みます。

「アーシー、ガリガリ君食いに行こうぜ」
小学1年生の息子に誘われてよく走ったのを思い出します。
次第に距離は伸びていきましたが、でも、何事も
目的地へは その自分の足で近づいていくしかないのです。
決してゴールから近づいてきてくれることはありません。

そういうことを教えて上げられたらなと思い、 距離は
違うけど、息子の時と同じようなことをやっています。
辿り着いた時の安堵感以上の誇らしげな顔を見た時に とても
嬉しくなります。
「1つ大人になったな」 そんな話をしながら電車に揺られて
ジムに戻りました。