2020/06/16
こういうことはnoteではなく、こちらに記した方がよいかな
と思い、こちらに更新します。
最近、いじめについて考えています。
子供の頃からいつも考えていますが、違う角度で度度
考えます。
僕のことを知らない人にも向けているのでご存知の方は
ご容赦ください。
子供の頃、よく嫌な思いをしました。
同級生や先輩からのそれが嫌で、キックボクシングを始めました。
「ざまぁみろ!」
そういって見返してやりたかったのです。
だから、周りとはと違う人生を選択してきました。
同じでは駄目だと思ったからです。
キックボクシングという競技名は目にも耳にもしません。
だから、尚更そう思ったのです。
中学卒業してタイに行ったことも、現地でデビューしたことも
翌年、定時制に入学して日本でプロデビューした翌年、
全日制高校に再入学したことも。
1度目の交通事故や、再入学した高校で留年したことは
予定外でしたが、でも、変わった経歴にマスコミが気づいて
くれてからは早かった気がします。
インタビューを受けるようになって、昔の自分を説明する
時に、「いじめ」という単語は使いませんでした。
被害者面しているように思われるのが嫌だったのです。
仲間外れになったし、みんなは僕をリンチしたし、無視しました。
タイトルを3回取って、20代半ばを過ぎた頃、自伝の出版の
依頼が着ました。
執筆する前に、その表現は使わないことを決めました。
「いじめられた」
前述したように、それが嫌で、その語彙は使いません
でした。
それと、
「◯●に殴られた」
ではなく、
「◯●は僕を殴った」
受け身を使わない記述にしました。
しかし、間に入ったもう1人が僕の記した原稿を「受け身」と
「体言止め」に全て訂正してしまいました。
手書きで2年半、原稿用紙600枚以上記して、使える原稿を
パズルのようにして繋げました。
しかし、発売直前締切数日前に校正で見せられた原稿は自分の
それではありませんでした。
最後の1日は出版社の編集とカラオケボックスに籠り、徹夜で
受け身の表現に全て赤ペンを入れ、体言止めを無理やり直し、
発売直前に完成させました。
文章が下手な分、そこは拘りたかったのです。
この手のことは記し方で読む側に不快感を与えてしまうと
思ったからです。
文章が下手糞だから、それでも不快感を与えてしまったかもしれませんが、
でも、その方が読みやすいと思ったし、僕が書きやすかったのです。
いずれにしても遅いことに変わりはありませんが。
自伝の冒頭に記しましたが、虐めはこの世からなくならないと
思っています。
大切なのは自分がいじめられないためにどうするかということと
思います。
子供の世界だけではありません。
大人の世界にもそれは存在します。
嫌がらせであったりするそれは十分に大人のいじめです。
勉強不足な自分がいけないのです。
これまで金が足りなくなればその分だけバイトをしてきました。
そんなことは働いたうちに入らないことは分かっています。
なので、十代の頃からのそれを公言したことはありません。
もう、そんなことを隠さなくてもいいかなと思い、数年前に
記したら、名古屋の2、3人が
「そんなのは働いたうちに入らない」
掲示板に記して勝ち誇っていました。
そう思っていたからそれまでは公言しなかったことまでは
分からないようです。
業務妨害になることも、ジム生のことも散散記して
くれました。
そういう輩を実名晒して、排除すれば少しはよい競技になるのかも
知れません。
数年前、肉体労働のバイトをしていました。
「おい、キチガイ」
雇う側の会社の中年は外国人をそう呼びます。
「おい、めくら」
それが僕の呼ばれ方です。
昭和ではありません、平成が終わる1年前の出来事です。
金がなければ必要最低限の分だけ働く、中学を卒業して
からそうしてきました。
それが正しいとはいい切れませんが、そう思ってきました。
仕事場では、相手が何歳であれ敬語で話します。
それは僕の敬意です。
でも、そういう人らは残念ながら勘違いするのです。
「今度、試合観に行ってあげるよ」
息子に近い先輩がそう来たら、
「来なくていいよ」
そう返します。
「ジム遊びに行こうかな」
そう来ても、
「来なくて大丈夫だよ」
そう返します。
そのアルバイトでは先輩かもしれないけれど、その立場を
僕の仕事でも兼用出来ると思ったら大間違いです。
昨年、某市のゴミの回収作業のバイトをしていました。
2歳下が運転手で、その助手が僕でした。
ステーションと呼ばれるそこに回収車を寄せて、缶は荷台に積んで、
瓶は荷台後ろに積み上げます。
少しでも手際良く出来るように努めているつもりでも、
遅いのでしょう。
いつも彼は僕に苛苛していました。
缶を積んで、乗ろうとドアに手を掛けると車を出すのです。
タイミングが合わせられない自分がいけないのだと反省しました。
乗ろうとしたら車が出て、乗り損ねることが度度ありました。
半年程して辞めることにしました。
社長にそのことを告げた時、
「おれもつい、やっちゃうんだよね」
やはり、わざとだったのだなと知り、残念に思いました。
幾度も手首を痛めたし、転んだこともあります。
転び方によっては大事故になることをストレス発散で、乗車しようと
する度に出されたら堪りません。
人がやりたがらない仕事を出来る恰好いい男と思っていましたが、
考え方が残念でした。
昨年は散散でした。
今年はどうかといわれたらそう変わりはしませんが、
似たような想いをしないよう頑張りたいと思います。
「め」でnoteに戻ります。
今年、去年の自分に「ざまぁみろ!」
そういえるよう頑張りたいですし、これまでの自分に「ざまぁみろ!」
そういえるよう頑張りたいと思います。
コロナにだってそうだし、昨日の自分にだって「ざまぁみろ!」
そういえるよう頑張りたいと思います。
子供だって大人だって、自分が変われば周りは変わります。
大切なのは自信だと思います。
自信という字は自分を信じると記します。
自分の変わりは自分しかいません。
自分の人生は自分が主役です。
主役が活躍しない人生なんてつまらないではないですか。
自分を信じてやりましょう。
そして、旨い飯食いましょう。
卑しくてごめんなさい。
食べることが大好きなのです。
三度の飯より大好きです。
「め」でnoteに戻ります。