水曜日

キックボクシング生活36年目の初日の今日は、とある地合わせで
都内某所に足を運びました。

あの時代をご存知ではない方らとは話が合わないので飛ばしてください。
僕が中学生の頃、今ではありません。
日航機墜落事故があったその年です。

キックボクシングのこと、誰も知りません。
テレビも新聞も雑誌も報道しません。
でも、考えることは楽しかったのです。

中学卒業後、タイへ渡りました。
自分のトランクスのロゴやデザインをして遊び感覚で作って
いました。
当時、1枚100バーツ(日本円で当時600円)でした。
当時考えて作ったロゴを今も変わらず使っています。

15・6歳の頃はトランクスだけで満足していたのですが元元の
欲は満たしていないので、先を求めます。
帰国して、売れもしないTシャツを作り始めます。
17歳の高校1年生の頃でした。
高校1年生が17歳ということは恥ずかしいので素通りして
ください。
横顔髑髏の鉢巻がないそれです。
24歳の時に販売したそれは、鉢巻を描き足したそれと思います。
30年以上経った今も気に入って使っています。

そして、Tシャツを作り、ガウンを作りました。
恥ずかしいですよね。
でも、自分の野望ですから、はずいです。
ええ、「恥ずかしくない」の略です。
Tシャツは同級生らに配り、ガウンは試合で着用します。
17歳でしたが、一番最後を任される大会で着ました。

前述も後述も以前記したものと重複しているかもしれません。
急いで打っているのでご容赦ください。
高校3年生の20歳の頃、連盟がグッズを作ると云い出します。
でも、どうせ売るなら自分の考えたものがいい。そういって
口を挟みました。

デザインの才能なんてないことくらい理解しています。
自分が考えたものが恰好いいと思っていませんが、でも、
その選手が考えたそれを応援してくれるファンらは喜んで
くれるだろうという自惚れがありました。

全然云いたいことに話は及んでいないのですが、とても
眠いので、この続きはまた気が向いた時に覚えていたら綴ります。

我ながら見事な逃げ道の残し方と思います。

ゴールドジム本八幡のスクールは行い、帰宅して、でも
もう寝ます。