気持ち

noteの購読者のみのテキストですが時間差でこちらにも。

本日子供曜日でした。
他人様の子供で恐縮ですが、出過ぎない程度に似たような
ことを口にします。
実の親御さんでは聞く耳を持たないことも、他所の人間に
云われると意外と聞いてくれたりするものです。
預かっている以上、余計なお世話かもしれませんが、キックボクシング
以外でもそんな話もします。
「靴の向きを返してから人様の家に上がったら、お父さんや
お母さんは嬉しいんだよ」
だとかの些細なことから始まって、下記に記したようなことも。
僕自身が不出来な子供でしたし、歪な大人なので偉そうな
ことは云えませんが、でも、息子とそうやって来ました。
息子にどこまで通じているのか分かりませんが、でも、
気持ち込めてそうやってきました。
ジムの子供とも息子とも、変わらずこれからもそうでしょう。
つくづく、下手糞な人間なのでご容赦ください。



三つ子の魂、最後まで

「出来ないことが恥ずかしいんじゃない、出来るように
頑張らないことが恥ずかしい」

幼い頃、出来ない僕に母は教えてくれました。
何かにつけて言葉を入れ替えて、両親はその手法で僕を叱咤激励
してくれました。

「失敗することが恥ずかしいんじゃない、失敗を恥ずかしがって
やろうとしないことが恥ずかしい」
そうも云いました。

ええ、両親は僕の人生の教科書で、そしてその言葉らは僕の人生の
三つ子の魂です。
2人も下手糞ですが、僕はもっと下手糞です。

「人を教えるということは自分が勉強することだ」

そうも云いました。
人に教えるというのは上からのような気がしてアドバイスすらしたがらない
僕に父は云いました。
まず、自分が勉強しなさいという意味でもあるだろうし、
それは自分の勉強にもなることだという風にも取れます。
両方の意味合いで捉えています。

悔しい時辛い時、それだけではない幾つもの言葉で僕の気持ちの
背中を押してくれました。

「下手糞な試合をみなさい」
中学生の頃、新人などの試合を観たがらない僕に父は云いました。
「そして、なんで下手糞なのか考えなさい」
その言葉はその後、僕が勝ち上がるのに必要な礎になりました。
落ちぶれてしまいましたが、でも、あの頃の父との会話が今も
指導に、そして選手として役に立っています。
「下手糞だと思うその選手がどうすればもっとよくなるのかを
考えるんだよ」
そう理由を添えてくれました。

自分の考え方の角度次第でいくらでも勉強できるということと
解釈します。
三つ子の魂で最後まで頑張れたらなと思います。